歌劇のあゆみ
宝塚歌劇の機関誌として、大正7年8月に「歌劇」は創刊されました。
宝塚歌劇の歴史と共に、その年の表紙の移り変わりをお楽しみください。
2018


- 雑誌「歌劇」創刊100周年
- 第三回台湾公演
- 宙組誕生20周年


2017


- 宝塚歌劇専門チャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」
開局15周年記念イベント


2016


- 『エリザベート』(日本初演より)20周年
- 「宝塚グラフ」創刊80周年
2015


- 第二回台湾公演
2014


- 宝塚大劇場にて「宝塚歌劇 100周年記念式典“虹の橋渡りつづけて”」
- 大阪城ホールにおいて「宝塚歌劇100周年記念大運動会」
2013


- 第一回台湾公演
- 東急シアターオーブにて『戦国BASARA』上演
新しく開場された東京都渋谷区の東急シアターオーブにて花組が初めて公演を行なった。 - 宝塚音楽学校創立100周年記念式典
2012


- 名誉理事・専科の春日野八千代逝去
2011


- 東日本大震災発生に伴い、公演の一部が中止
2010


- 星組梅田芸術劇場公演『ロミオとジュリエット』上演
シェイクスピア作の純愛物語を、フランスの作詞家・作曲家・演出家であるジェラール・プレスギュルヴィック氏が新たにミュージカル化した作品を、日本で初上演。大好評を受け、2011年には雪組、2012年には月組、2013年にはふたたび星組で上演。
2009


- 花組宝塚大劇場公演『太王四神記』上演
- この年から宝塚大劇場公演が各組2公演ずつの年10回公演に
- 宝塚歌劇95周年記念・「歌劇」通巻1000号記念スペシャル『百年の道』


2008


- ブロードウェイ・ミュージカル『THE SCARLET PIMPERNEL』上演
人気ブロードウェイ・ミュージカルを小池修一郎の潤色・演出により上演。大ヒット作となり、読売演劇大賞優秀作品賞を受賞。2年後の2010年、月組により再演された。
2007


- 小林一三没後50年にあたり、「清く正しく美しく—この教え護り続けて—」を宝塚大劇場で開催
2005


- 月組梅田芸術劇場公演『Ernest in Love』上演
新装した梅田芸術劇場メインホール(旧・劇場飛天)にて宝塚歌劇の公演が開始。 - 韓国公演
- 宝塚大劇場において「花の道より」400回記念チャリティ・スペシャル『花の道 夢の道 永遠の道』
2004


- 宝塚大劇場において宝塚歌劇 90周年記念式典「すみれ花 歳月を重ねて」を挙行
- 大阪城ホールにおいて「宝塚歌劇90周年記念大運動会」
2003


- 小林一三生誕130年「清く 正しく 美しく」を宝塚大劇場で実施
2002


- 日生劇場で『風と共に去りぬ』を上演
- 宝塚歌劇衛星放送チャンネル「タカラヅカ・スカイ・ステージ」開局
- 第二回中国ツアー公演
2001


- 新・東京宝塚劇場杮落し公演『いますみれ花咲く』『愛のソナタ』上演
- 星組東京宝塚劇場公演『ベルサイユのばら2001- オスカルとアンドレ編- 』上演
- 宙組宝塚大劇場公演『ベルサイユのばら2001- フェルゼンとマリー・アントワネット編- 』上演
東西での『ベルサイユのばら』同時上演となる。
2000


- 宝塚管弦楽団を「宝塚歌劇オーケストラ」に改称
- 新専科制度発足
- ベルリン公演
- 東京TAKARAZUKA1000days劇場サヨナライベント「アデュー・TAKARAZUKA1000days劇場」開催


1999


- 博多座での公演開始
- 第一回中国公演
1998


- 宙組が正式に発足
- 香港公演
- 仮設の東京TAKARAZUKA1000days劇場での公演開始
1997


- 東京TAKARAZUKA1000days劇場竣工
- 5組化に伴う組替え発表
新組の名前が「宙組」に決定。 - 東京宝塚劇場が建て替えのため閉館
1996


- 雪組がウィーン・ミュージカル『エリザベート』を上演
小池修一郎が潤色・演出。その後何度も再演され、宝塚の新たな代表作となる。
1995


- 1月17日 阪神・淡路大震災発生
- 花組宝塚大劇場公演及び雪組宝塚バウホール公演を休演
- 2月2日 星組中日劇場公演から公演再開
- 3月31日 宝塚大劇場復旧、星組宝塚大劇場公演『国境のない地図』上演
1994


- ロンドン公演
- 新・宝塚大劇場が全館竣工、「キャトルレーヴ」営業開始
- 宝塚大劇場にて「宝塚歌劇80周年記念式典“夢を描いて華やかに”」
- 阪急西宮スタジアムにて「80周年記念運動会」
1993


- 1月1日 新・宝塚大劇場開場
1992


- 宝塚大劇場で音楽慰霊祭「ここより明日へ」
- 新・宝塚大劇場竣工式
- ニューヨーク(ジョイス・シアター)公演
- 旧・宝塚大劇場最後の公演千秋楽
- シアター・ドラマシティでの公演が開始


1991


- 新・宝塚大劇場第1期工事が完成
1989


- 宝塚大劇場にて「逸翁に捧げる夕べ」を開催
- 『ベルサイユのばら』初演から15年目の再演
- ニューヨーク公演
1987


- 月組公演『ME AND MY GIRL』上演
ロンドンミュージカルで、小原弘稔脚本・演出。千秋楽には宝塚初のスタンディングオベーションが起こる。同年同組での再演が決定。 - レビュー記念日の催し始まる
1985


- 第五回ハワイ公演
1984


- 宝塚大劇場で「宝塚歌劇70周年記念式典」
- 阪急西宮球場にて「宝塚歌劇大運動会」を開催


1982


- 『夜明けの序曲』上演
植田紳爾作、新派の川上音二郎の生涯を描いた作品で、11月の東京公演で芸術祭大賞を受賞。 - 第二回東南アジア公演
マレーシア、シンガポール、タイ、ビルマ(現ミャンマー)で公演。
1981


- 「逸翁に捧げる夕べ」を宝塚大劇場にて開催
- 阪急西宮球場で「宝塚歌劇大運動会」
1978


- 「宝塚バウホール」が竣工
- 中南米公演
メキシコ、アルゼンチン、ブラジルで公演。
1977


- 『風と共に去りぬ』初演
アメリカ文学の最高傑作を植田紳爾脚本・演出で上演。翌年にかけて4組で上演、観客数は134万人に達した。
1975


- 宝塚大劇場の公演期間を1ヶ月から45日制に変更
- 第三回ヨーロッパ公演に出発
- ソビエト連邦(現ロシア)の5都市とパリで公演


1974


- 宝塚大劇場で「宝塚歌劇60周年記念式典」
- 阪急西宮球場にて宝塚歌劇大運動会を開催
- 『ベルサイユのばら』初演
池田理代子原作、植田紳爾脚本・演出。1976年までに各組で上演、観客合計140万人という空前の大ブームとなる。
1973


- 『パレード・タカラヅカ』上演
- 小林一三生誕百年記念公演
- 第一回東南アジア公演
ビルマ(現ミャンマー)、マレーシア、シンガポールで上演。
1970


- 『タカラヅカEXPO'70』上演
- 「宝塚グラフ」創刊80周年
- 大阪千里で開かれた日本万国博覧会協賛の和洋ショーを順次各組で公演
この公演から上演時間を30分短縮させ、幕間を入れた3時間という現在の形となる。
1969


- 三作目のミュージカル『回転木馬』を上演
1968


- 二作目のブロードウェイ・ミュージカル『ウエストサイド物語』上演
- 11月の東京公演で芸術祭賞大賞を受賞する
1967


- 宝塚歌劇初の外国ミュージカル『オクラホマ!』を上演
- 中日劇場での公演開始


1965


- パリ公演(第二回ヨーロッパ公演)
1964


- 東京の新宿コマ劇場で初公演
- 「宝塚歌劇50周年・物故者慰霊祭」を宝塚大劇場で執行
- 宝塚大劇場で「宝塚歌劇50周年記念式典」
1961


- 日本民俗舞踊『火の島』上演
日本郷土芸能研究会による日本民族舞踊シリーズの第4集で、11月の東京公演が芸術祭賞を受賞した。
1960


- 宝塚新温泉を「宝塚ファミリーランド」と改称、宝塚ヘルスセンター開業
- 『華麗なる千拍子』初演
- 高木史朗作のショーで、10月東京公演で芸術祭賞を受賞。 翌年にかけて73万人の観客を集めた
1959


- カナダ・アメリカ公演に出発


1958


- 関西テレビで宝塚の定期番組放送開始
1957


- 宝塚歌劇の創設者 小林一三翁が84歳で逝去
- 宝塚音楽学校が2年制を採用
1955


- 第一回ハワイ公演
- 東京宝塚劇場での公演が星組公演『虞美人』で再開
- 新日本放送ラジオで「宝塚ファンコンテスト」放送開始
1954


- 宝塚大劇場において「宝塚歌劇40周年式典」
1951


- 『虞美人』初演
白井鐵造作のグランド・レビューで、初の1本立て大作。3ヶ月続演して30万3千人、大劇場入場者数の記録を更新した。
1950


- 東京・帝国劇場での公演再開


1948


- 江東劇場でも公演開始、日劇と合わせて年6回東京で公演
- 星組が復活
1947


- 雑誌「宝塚グラフ」復刊
- 有楽町・日本劇場で戦後初の東京公演
1946


- 宝塚新温泉・大劇場など接収を解除
- 宝塚音楽舞踊学校を「宝塚音楽学校」と改称、予科1年制となる
- 月刊雑誌「歌劇」復刊
- 宝塚大劇場の公演が再開
春日野八千代を組長とする雪組公演で再開。 - 東京宝塚劇場は進駐軍に接収され「アーニ―・パイル劇場」と呼ばれていた
1945


- 「宝塚映画劇場」で公演開始(11月に宝塚小劇場へと改称)
- アメリカ軍が宝塚に進駐、大劇場一帯を接収
- 「宝塚小劇場」が焼失、公演を中止
1944


- 宝塚大劇場と東京宝塚劇場に閉鎖命令
- 宝塚歌劇団創立30周年記念式
1942


- 第一回満州(現・中国東北)公演
1940


- 時局を考慮し、「歌劇」「宝塚グラフ」が相次いで休刊
- 宝塚歌劇音楽奉仕隊を結成
- 「宝塚少女歌劇団」を「宝塚歌劇団」と改称
1939


- 星組廃止
- アメリカ公演
「訪米芸術使節団」としてホノルルと米本土9ヶ所を巡演。 - 宝塚音楽歌劇学校を「宝塚音楽舞踊学校」と改称、少女歌劇団と分離
1938


- 第一回ヨーロッパ公演に出発
- 「日独伊親善芸術使節団」としてドイツ・ポーランド・イタリアの26都市を巡演
1936


- 月刊雑誌「宝塚グラフ」創刊


1935


- 宝塚大劇場火災で内部を焼失
1934


- 東京での本拠地・東京宝塚劇場が開場
1933


- 新設の星組が初公演
1930


- 『パリゼット』初演
白井鐵造の帰朝土産レビュー。『モン・パリ』をしのぐ人気で3ヶ月の続演となった。主題歌「すみれの花咲く頃」もヒットし、化粧法が一新したのもこの作品から。
1928


- 宝塚少女歌劇団生徒(研究科生徒)を普通・舞踊・声楽の3科に区分


1927


- 日本初のレビュー『吾が巴里よ<モン・パリ>』上演
1925


- 花・月・雪組の3組交代による年12公演体制が確立
1924


- 雪組を新設、初公演
- 4,000人収容の宝塚大劇場が完成、杮落し公演を開始
1923


- 宝塚新温泉の諸施設が焼失
- 初の地方公演
- 新歌劇場が完成し公演開始
- 新装のパラダイスが開館、その3階に「宝塚小劇場」が開場
1922


- 年間8公演を開始
1921


- 雑誌「歌劇」を季刊発行から月刊発行に
- 2部制公演実施
生徒を2部に分け、第1部は新歌劇場(公会堂劇場)で、第2部はパラダイス劇場で公演することに。秋には第1部を花組、第2部を月組と改称した。
1919


- 「宝塚音楽歌劇学校」を設立
- 公会堂劇場が完成
1918


- 帝国劇場で初の東京公演
- 雑誌「歌劇」創刊
歌劇団初の機関誌が創刊される。最初は年4回の季刊で、定価は20銭。


1914
- プールを改造したパラダイス劇場で宝塚少女歌劇第一回公演
1913
- 「宝塚唱歌隊」を組織